開発日記 第8話

インド実用化テスト

2007年5月 リーダーの大牟田含めロッコースタッフ5名は、

関西空港を午前11:30に出発。

バンコクを経由し、インド、デリーに着いたのは夜8:30(日本との時差3時間30分)。

約12時間の長旅であった。

ホテルは、5つ星の「Shamgri-La」。

インドでは、日本人は治安上このレベルのホテルに泊まらないとダメらしい。

(一流ホテルを楽しむ余裕もなく、寝るだけとなってしまったが)

今回の室用化テストは商社のI商事依頼のもと、MR S型を使用し、

デリー → チェンナイまでの約2800kmの自動車輸送であり、

陸上と鉄道の2ルートに分かれ、コンテナ各1台計2台での輸送テストである。

輸送テスト前日に、コンテナへの自動車搬入作業のデモが実施された。

自動車メーカーMS社、I商事、、他関連会社の関係者多数が見守る中、

ロッコースタッフ5名は、この日の為に新調された

お揃いのブルーの作業服を身にまとい、

一同緊張しながらも自動車搬入デモは進められた。

(多少?の内輪揉めはあったものの)

2台のコンテナに8台の自動車を積込み、搬入デモは無事終った。

翌日、MRを乗せたコンテナは陸上輸送と鉄道輸送に分かれ、

デリーを出発し、一路チェンナイへと向かった。

約7日間の輸送日程である。

7日後、日程通りコンテナは無事にチェンナイに到着。

自動車、MR共にダメージ無く室用化テストは成功のもと終わった。

その後も、インドでの室用化テストは続けられ、

2007年6月には、第2回室用化テストとして、

自動車メーカーH社でのチェンナイ → デリー約2800kmの陸上輸送。

2007年10月には、第3回室用化テストとして、

自動車メーカーT社でのプネ → ムンバイ約150kmの陸上輸送

3回実施されたインド室用化テストは全てにおいて、

自動車、MR共にダメージ無く、成功のもと終了した。

この間のインド滞在生活は大変なものであった。

まずは気候、とにかく熱い。

日中は気温45℃以上、日向での作業は3分ともたず、

日陰でも熱風により頭が「ぼーっと」!思考力低下。

5月の室用化テストでは、スタッフ1名ダウン、

もう1名は財布を紛失。

落としたのか、盗まれたのか、本人わからずじまい。

次に食事、インドは主にカレーである。

日本のカレーとはまったく違い、まったく別の料理である。

又、牛肉はダメ(インドでは牛は神様)、

米はパサパサ、ほとんど食べることが出来ず。

日が立つにつれ、独特な香辛料の匂いも気になり始め、

カレー以外の物を食べてもインドのカレー味に感じる。

味覚の異常か?

2回目の室用化テストでは、

大牟田と私は、インドから一旦バンコクに戻り(脱出?)、

牛肉に対する飢えの為か、ふたり共にステーキ(450g)をペロリ、

ようやく味覚と胃が正常にもどり、デリーへと再び向った。

またインドは、確かに貧富の差が大きく、

一流ホテルに泊るインド人(色あざやかなサリーを身にまとい)

がいるかと思えば、ホテルを一歩外に出れば

路上生活者が多く別世界となる-路上を夜ひとり出歩るのはまず危ない!

また、自動車での移動の際、信号で停車すると

必ず古びた衣服を着た小さい子供が車に近づき窓越しに手を差し出す。

(前もって商社の人から話しは聞いており、目を合わせない様にと)

無視するしかなく、心が少し痛い。

交通マナーはと言うと、インド人はせっかちなのか?

運転技術が高いのか?道路には車線がくっきりと

引かれているにもかかわらず、まったく無視!

渋滞時には、3車線の道路に車が6列並ぶことは普通であり

(車間の隙間2~3cm)それでもまだ割り込む車がある程である。

その為かサイドミラーが飛んで無い車が多い。

インド人は基本的には礼儀正しく、人に対して思いやりがある。

しかし、ある一面、非常に陽気な国民であると感じられた。

ある日のこと、バンコクからチェンナイに向う飛行機の中、

乗客は大牟田と私以外はインド人(たぶん?)5時間のフライト中

機内ではいたる所で大きな話し声、大きな笑い声がつづき、

ずっとお祭り(?)が催しされた。またCA呼出し音がとにかくすごい。

お祭りでの笛のごとく、いたる所から鳴り響き、お祭りを盛り上げた。

CAは笛(呼出し音)に合せ、踊り子さながら機内を動き廻わる。

(だがCAには笑顔はない)大牟田と私はお祭りには参加できず

後方座席に静かに礼儀正しく座っていた。

その為、機内食が私たちの手元に来たのは着陸1時間前

(でも機内食もやはり、カレー・・・結局手つかず)

またインド人の仕草も特徴があり、「YES」のときインド人は首を横に振る。

日本人とはまったく逆であり「NO」と勘違いし、最初は戸惑ってしまう。

またある日のチュンナイでの出来事、私はビール好きで、

夜は必ずビールを飲む習慣がある。

インドでは、日本の様にコンビニ等で簡単にビールを買うことが出来ない。

アルコールの規制が厳しいようだ。

明日帰国する夜のこと、ビールが飲みたくなり危険を感じながらも

安いビールを買いにひとりホテルを出た。

なかなかそれらしい店が見つからず、

20分程歩いた所でコンビニらしき店を見つけた。

店の中へ入り、一通り見歩いたがビールは見つからない。

ダメもとで、レジに座っていた店主らしき人物に言った「Beer」

店主らしき人物は首を横に振った。

「NO」ではない!「YES」の意味だ!

すると店主らしき人物が、鋭い目付きで外を見廻した後、

足元の戸棚から黒いビニールの包みを少しだけそっと出し、

黒いビニールを少しめくった。そこには、ビールらしきものが見えた。

店主らしき人物は少し微笑み私を見つけた。・・・私は考えた。

あやしい、ビールもあやしい(本物か?)

店主らしき人物も行動もあやしすぎる。

ビールは欲しいが、やめておこうと決断した!

私は「NO」のつもりで首を横に振った。

店主らしき人物はすぐに黒いビニールの包みごと私に手渡した。

「しまった!」私は「YES」の仕草をしてしまったのだ!

私は仕方なく受け取り、代金を支払った。

(後で分かったが安いビールを高値で売りつけられた)

黒いビニールの中身は本物のビール12本入っていた。

その夜、高額のぬるいビールを4本しか空にできず、

残り8本は部屋に残しホテルへのプレゼントになった。

またデリーでのある日の夜、

大牟田と私、二人は「たまにはインド美人とお酒でも」と

知り合ったばかりの運転手(少し英語の話せるインド人)に案内され、

夜の街へと車を走らせた。

街をさまようこと2時間、ようやく車が停止した。

私たちが想像していた、ネオンが煌々としたきらびやかな所ではなく、

人気のない薄暗い通り、また目付きのあやしいインド人の登場、

車の外で何やら運転手と密談・・・またまたあやしい危険な予感!

運転手と目付きのあやしいインド人が車に近づいてきた。

私たちは身がまえた。

運転手が一言「今日店休み、ホテル帰る」

・・・すーっと力が抜けた。

私たちは安堵と落胆を交じえホテルへと戻るのであった。

かくしてインドでの滞在生活は思いのほか大変であったが、

良い事もなかった訳ではない。5月のインドでの滞在では、

I商事インド会社社長宅に夕食に招待され、味比べと評して、

3種類のマンゴーを食した。

その中でも「アルフォンソ」という銘柄のマンゴーは絶品であり、

忘れられない味の一つとなった。

さまざまな体験をした、インド室用化テストであったが、

結果としては残念ながらMRの採用(現地合弁企業不成立+鉄道運賃高+MRコスト高等で)を見送られた。

MRはこれからどうなるのか?

新たな展開が待っているか?


設計部長 花城[文]